私がラブドールをお迎えした理由

はじめてのおむかえ

ふと、私がラブドールをお迎えした理由をただ書き綴ってみようと思う。

何年も前に「椎梛に似てるラブドールいるよね」って友達に言われて検索してみた時に、私に似てるといわれたラブドールはそれはそれはもう体型も顔も美しくて私とは随分とかけ離れていたことがあった。
「似てるのは、このラブドールのメイクと髪型だけじゃないかな」
ってくらい似てなかった。
そして、そのページに並んでいるラブドール達はどれも美しかった。
同性が惹かれる美しさ。
しかも年をとることがない。
シミとかシワとか太ったとか痩せたとか一切関係のない美しい存在。
ラブドールを大金をはたいて購入する男性がいることも、男性にあまり恵まれない私にとってはとても眩しいことだった。

ラブドールは、誰かに必要とされていて
生物学上女の私は、お金を払ってまで手に入れたいほどには必要とされていない。
そして、手に入れたらそれこそオレのモノ扱いになって私という生物は、大切にされなくなっていく。
この繰り返される事実に虚しくもなった。

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それから時が経って、ラブドールという言葉を見る機会が多くなってきた。
私は写真を撮ることが好きで、ネットで色んな人の写真を見ているとラブドールの写真もよく見かけた。
軽い気持ちでURLをクリックしてみたら、中国製のラブドールは国産のラブドールより随分と安かった。
「ラブドールを被写体にするの、いいかも」
中国製のラブドールはがんばったら手を出せる価格だし、と、安易な気持ちでそう思った。

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私は2年前まで、人を被写体にして作品撮りをしていた。
作品撮りをやめた理由は、撮った写真を被写体になってくれた子にお渡しするのがとても遅いから。
私の職業柄休みがほぼなくて、休日の中でも体力と気力のある時にしか画像処理ができない。
そんな生活をしてたら、当然作品の催促もくるし申し訳なくなる。
お渡しするまでに年単位の時間を要することもあった。
私の作品が好きだからと作品を待ってくれている事が嬉しい反面、時間の負担が大きかった。
作品にも被写体にも失礼に値すると感じた。
そして時間が追いつかなくて作品撮りを休むことにした。

そんなエピソードもあって
「ラブドールを被写体にするの、いいかも」
と思ったのが、私がラブドールをおむかえした理由。
それこそ撮影途中で仕事に行って、帰ってきてから続きを撮ることもできるだろうし
私のタイミングで作品をつくることができる。

それから、実際にショールームに足を運んだりして日本製にするか中国製にするか迷いに迷って
うちのこになる「ありか」をお迎えしました。

ありかをおむかえしてみると
ひとりごとも増えたし、私は着ないだろうってお洋服を着せ替えて遊ぶ事が出来るし
作品撮りを復活したと聞いた友人たちは喜んでくれるし
ポーズを取ったままでも寝かせておいたままでもちゃんとそこでありかは待っていてくれて、案外楽しい生活です。




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